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筆者が読んだ本の読書日記。書評ではなく、著書の内容から、自らの体験や時代背景を読み解くことを目指します。筆者の備忘録でもあります。
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41vD7I3c1WL._SL500_AA240_.jpg逵日出典『八幡神と神仏習合』(講談社、2007年8月)

学生時代に大分の宇佐に行ったことがある。八幡神社の本家である宇佐八幡宮があることを知っていた。奈良時代、道鏡が天皇になろうとした事件があった。和気清麻呂が宇佐に派遣されて、神の神託をうかがったという。なぜ、宇佐なのだかは学校では教えてくれなかった。宇佐八幡宮にお参りしただけではそのヒントも得ることはなかった。

宇佐八幡宮はずっと頭の中で気掛かりな存在だった。新橋の本屋でこの本を見つけてすぐに買うことになったのは当然のことだった。

この本を読んでうならされた。宇佐八幡宮が新羅からの渡来神であることが分かった。江戸時代までは神仏習合で境内にはお寺もあったそうで、平安時代の仏教と神道の融合が宇佐のちから始まった可能性すらあるとすれば、宇佐八幡宮は日本史の中でもう少し大切に扱うべき神社であっていい。

やがて、宇佐八幡宮は平安京の南の樟葉の地に勧請せられ、源氏の棟梁たちの氏神となる。源氏が幕府をひらくころになると、全国に八幡さまが多くまつられるようになる。

いまでも津々浦々の秋祭りは八幡さまを中心に行われる。江戸時代、平和を取り戻した大名たちは人々の楽しみのために「祭」を奨励し、八幡神に実りの感謝を捧げたのがきっかけだという。

後日談があるこの本を読み終わったころ、ある異業種交流会で秦さんという官僚と名刺を交わした。
「はたさんですか」
「いえシンといいます」
「すると中国から韓国の方ですか」
「いえ大分の出身です」
「そーですか。最近宇佐八幡宮の本を読んだばかりで・・・」
「そうなんです。あのあたりは新羅からの渡来人が開発したところで、シンさんが少なくないんです」

いやはや、まいった。
(萬晩報主宰 伴武澄)
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