川喜田半泥子『随筆泥仏堂日録』(講談社文芸文庫、2007年3月10日)
泥仏堂は津市の長谷山の麓にある。半泥子が戦後、移り住んでろくろを回したところである。いまも弟子たちがその地で土をこね、ろくろを回している。
昭和の光悦と呼ばれた半泥子による雅趣と洒脱をちりばめた珠玉の随筆集である。
泥仏堂は津市の長谷山の麓にある。半泥子が戦後、移り住んでろくろを回したところである。いまも弟子たちがその地で土をこね、ろくろを回している。
昭和の光悦と呼ばれた半泥子による雅趣と洒脱をちりばめた珠玉の随筆集である。
半泥子は百五銀行の頭取を長く務めた。銀行経営は明治時代から川喜田家の家業である。江戸時代には木綿問屋を江戸で営み、大いに栄えた。津一番の資産家でもあったから、お伊勢参りの人々に対して毎日のようにおにぎりなどを供してありがたがられた。
幕末、津の南の三雲に生を受けた松浦武四郎のエゾ探検を金銭的に支援したそうだ。いまでいうフィランソロピーの先駆のような存在でもあった。
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