星田宏司『日本最初の喫茶店』(いなほ書房、2008年4月)
日本で最初の喫茶店は明治21年、東京・上野に誕生した「可否茶館」だった。
コーヒーを飲ませただけでなく、内外の雑誌や図書を店内において知識人のサロンを目指したそうなのだ。
オーナーは鄭永慶という人物で先祖は代々長崎の通詞だった。鄭というから中国系だが200年以上、日本にいたからもう日本人と言っていい。何を隠そう、鄭成功の弟の子孫というのだからびっくりした。
日本で最初の喫茶店は明治21年、東京・上野に誕生した「可否茶館」だった。
コーヒーを飲ませただけでなく、内外の雑誌や図書を店内において知識人のサロンを目指したそうなのだ。
オーナーは鄭永慶という人物で先祖は代々長崎の通詞だった。鄭というから中国系だが200年以上、日本にいたからもう日本人と言っていい。何を隠そう、鄭成功の弟の子孫というのだからびっくりした。
鄭成功は日本では「国姓爺」と呼ばれた明末の風雲児。父鄭芝龍が平戸にやってきて日本人妻をもらい、二人の兄弟が生まれた。兄はアモイに戻り、満州の清に 敗れた明朝を最期まで支え、台湾にいたオランダ勢を駆逐して籠もった。兄が志しを遂げられなかったため、弟は日本人として生きるしか選択肢がなかった。と いうより、人質として日本に留め置かれたのではないかと信じている。
日本史にはほとんど出てこないが、当時の鄭成功は度々、幕府に対して 援助を求める使いを派遣している。歴史に「もしも」はないというわれるが、戦国時代、日本の武士たちの士気は最高に達していたし、世界有数の金山、銀山が 開発され、経済的にも昇竜の勢いだった。その日本が明朝復権に手を差し伸べていたら、その後のアジア史、いや世界史は大きく変わったものになっていただろ う。(萬版報主宰 伴 武澄)
日本史にはほとんど出てこないが、当時の鄭成功は度々、幕府に対して 援助を求める使いを派遣している。歴史に「もしも」はないというわれるが、戦国時代、日本の武士たちの士気は最高に達していたし、世界有数の金山、銀山が 開発され、経済的にも昇竜の勢いだった。その日本が明朝復権に手を差し伸べていたら、その後のアジア史、いや世界史は大きく変わったものになっていただろ う。(萬版報主宰 伴 武澄)
PR
この記事にコメントする
最新コメント
最新記事
(08/07)
(08/07)
(08/07)
(06/05)
(06/05)
(05/13)
(05/13)
(05/13)
(05/13)
(05/13)
最新トラックバック
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
カウンター