伊藤章治『ジャガイモの世界史』(中公新書、2007年1月)
2008年6月22日東京新聞のサンデー版でジャガイモ特集をしていたばかりで刺激されたのかもしれない。汐留の地下の本屋で衝動的に買った。とにかく、ことしは国連の定めた「国際ポテト年」なのだそうだ。
そのむかし、リンゴに興味を持ち、次いでトマト、ジャガイモと関心が広がったことがある。リンゴは別として、トマトもジャガイモも新大陸からもたらされた食物である。
2008年6月22日東京新聞のサンデー版でジャガイモ特集をしていたばかりで刺激されたのかもしれない。汐留の地下の本屋で衝動的に買った。とにかく、ことしは国連の定めた「国際ポテト年」なのだそうだ。
そのむかし、リンゴに興味を持ち、次いでトマト、ジャガイモと関心が広がったことがある。リンゴは別として、トマトもジャガイモも新大陸からもたらされた食物である。
トマトがない時代のイタリア料理ってどんなだったのだろう。ジャガイモのないドイツ料理も想像できない。ヨーロッパの食生活はよほど単調だったに違いない。そう考えるとなにやらおかしくなる。
このほか、トウモロコシやトウガラシも新大陸、食べ物ではないが、ココアもタバコも新大陸由来である。ヨーロッパは新大陸の恵みで生きていることになる。
ちなみにイタリア語でトマトはpomodoro、ポマドーロ。黄金のリンゴという意味だそうだ。これがフランス語ではpomme d’amour、ポム・ダ・モール。愛のリンゴとなる。ペルーでポマペだった呼び名がイベリア半島ではトマトとそのまま呼んでいたものが、イタリア半島、 フランスと渡るごとに呼び名が変化するのだからおもしろい。
ジャガイモの場合はオランダ語でaardappel、アールド・アッペル。フランス語もまたpomme de terre、ポム・デ・テール。ともに土のリンゴなのである。そうなるとリンゴってのはなんなのか考え込まざるをえなくなってしまう。
トマトもジャガイモも形がリンゴに似ていたということなのかもしれないが、「何々のリンゴ」と名付けるからには、ヨーロッパ人にとって「リンゴ」そのものになにか重要なメッセージが込められていると考えざるをえない。
国際ポテト年 国連食糧農業機関(FAO)によると、今日ジャガイモは推定農地面積で19万 平方kmに栽培され、その範囲は、中国雲南の高原やインドの亜熱帯低地から、ジャワの赤道付近の高地、ウクライナの大草原地帯にまで及んでいる。収穫量の みについてみただけでも、ジャガイモの塊茎は、世界第4位の食用作物であり、2005年の総生産量は3億 2300万トン以上に達している。ジャガイモはこれまで「貧者のパン」としてヨーロッパで幾多の飢饉を乗り越えてきた。今後の途上国での人口増をまかなう ためにジャガイモにもう一度光を当てようという試みなのかもしれない。
リンゴの連想ゲームをすると、まず「ニュートンのリンゴ」が思い起こされる。リンゴがなっている風景を知らないが、ニュートンが本当にリンゴの実が枝から 落ちた情景を見ながら万有引力の存在を確信したのか疑わしい。リンゴというキーワードに新発見の重みを重ねたに違いないと勝手に想像している。
ウイリアム・テルが弓を引くのもリンゴだ。子どもの頭の上にリンゴを置いてそれを狙うなどかなり危険な行為だ。那須与一の扇子に向けて弓を引く平家物語の情景とは違いすぎる。
逆に白雪姫は毒リンゴだ。魔法使いが小人の家で憩う白雪姫を狙って真っ赤な毒リンゴを差し出す情景は恐ろしい。子どものころはどうしてリンゴでなければな らないのかなど疑問に思ったこともなかったが、たぶんリンゴにある種の宗教性を込めたものだのだろうといまになって考えてしまう。
そうそうアダムとイブの禁断の実を忘れていた。ヘビにそそのかされてリンゴの実を食べてしまい、裸であることを恥ずかしく思う。と思って聖書で確認したら、リンゴとは書いていない。「禁断の実」でしかなかった。アダムとイブは本当にリンゴを食べたのだろうか。
ニューヨーク市の愛称はアップル・シティーである。ビートルズのレコード会社もコンピューター会社名もアップルた。これだけそろうと考え込まざるをえない。ヨーロッパ人にとってリンゴとは何だったのだろうか。
カザフスタンの首都アルマトイは以前、アルマーアタと呼んでいた。カザフ語で「リンゴの父」という意味だと聞いた。天山山脈の北麓の町で、郊外にはリンゴ 畑が広がっていた。後で調べると、リンゴの原産地は中央アジアだということになっていた。ブドウもまた中央アジアが原産地で、ともにワインの原料でもあ る。
リンゴは寒冷地に実る。日本でも温暖地に育つミカンと成育地を二分している。ヨーロッパにリンゴが育つのはわかるが、ヨーロッパ文明のふるさとであるギリ シャだとかイタリア半島にリンゴが育ったとは到底考えられない。そもそもエデンの園があったとされるメソポタミアにリンゴが成育するはずもない。ギリシャ 神話に登場する黄金のリンゴはオレンジだったかもしれないのだ。
トマトが「黄金のリンゴ」となったり、ジャガイモが「土のリンゴ」となるのだから、リンゴを意味する「アップル」や「ポム」は単に果実の意味ともとれるのだ。
それでは日本語の林檎はどこからきたのだろうか。どうやっても林檎は「りんご」と読めない。現在、日本で栽培されるリンゴは明治以降、アメリカからもたら されたものだが、平安期から「和りんご」が存在していた。小ぶりですっぱかったからあまり食用とはされなかったらしい。平安時代の『和名類聚抄』によれ ば、「利宇古宇(りうこう、りうごう)」として和リンゴが記述されており、これが訛って「りんご」になったと考えられているようだ。
当然、中国からやってきたはずだ。中国ではリンゴのことを「苹果」(ピングオ)と呼ぶ、文献には「林檎」の表記もある。『本草綱目』に「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也」とあるから、「熟れると甘くなって禽類がやってくる」という意味か。
中国の文献にある「林檎」の文字に「利宇古宇(りうごう)」の読みを重ねたということだろうか。
どこかのサイトだったか忘れたが、おもしろい逸話が書かれてあった。
あるところに果樹園があって、リンゴがなっていた。そこへ言葉のわからない旅人がやってきた。旅人はリンゴを差して「これはなんだ」と言った。農夫は意味が分からなかったので「リンゴ」といったそうだ。
農夫の国の言葉で「リンゴ」は分からないという意味だったのに、旅人は早合点してその果物を「リンゴ」だと理解した。
英和辞典で「lingo」と引いてごらん。
このほか、トウモロコシやトウガラシも新大陸、食べ物ではないが、ココアもタバコも新大陸由来である。ヨーロッパは新大陸の恵みで生きていることになる。
ちなみにイタリア語でトマトはpomodoro、ポマドーロ。黄金のリンゴという意味だそうだ。これがフランス語ではpomme d’amour、ポム・ダ・モール。愛のリンゴとなる。ペルーでポマペだった呼び名がイベリア半島ではトマトとそのまま呼んでいたものが、イタリア半島、 フランスと渡るごとに呼び名が変化するのだからおもしろい。
ジャガイモの場合はオランダ語でaardappel、アールド・アッペル。フランス語もまたpomme de terre、ポム・デ・テール。ともに土のリンゴなのである。そうなるとリンゴってのはなんなのか考え込まざるをえなくなってしまう。
トマトもジャガイモも形がリンゴに似ていたということなのかもしれないが、「何々のリンゴ」と名付けるからには、ヨーロッパ人にとって「リンゴ」そのものになにか重要なメッセージが込められていると考えざるをえない。
国際ポテト年 国連食糧農業機関(FAO)によると、今日ジャガイモは推定農地面積で19万 平方kmに栽培され、その範囲は、中国雲南の高原やインドの亜熱帯低地から、ジャワの赤道付近の高地、ウクライナの大草原地帯にまで及んでいる。収穫量の みについてみただけでも、ジャガイモの塊茎は、世界第4位の食用作物であり、2005年の総生産量は3億 2300万トン以上に達している。ジャガイモはこれまで「貧者のパン」としてヨーロッパで幾多の飢饉を乗り越えてきた。今後の途上国での人口増をまかなう ためにジャガイモにもう一度光を当てようという試みなのかもしれない。
リンゴの連想ゲームをすると、まず「ニュートンのリンゴ」が思い起こされる。リンゴがなっている風景を知らないが、ニュートンが本当にリンゴの実が枝から 落ちた情景を見ながら万有引力の存在を確信したのか疑わしい。リンゴというキーワードに新発見の重みを重ねたに違いないと勝手に想像している。
ウイリアム・テルが弓を引くのもリンゴだ。子どもの頭の上にリンゴを置いてそれを狙うなどかなり危険な行為だ。那須与一の扇子に向けて弓を引く平家物語の情景とは違いすぎる。
逆に白雪姫は毒リンゴだ。魔法使いが小人の家で憩う白雪姫を狙って真っ赤な毒リンゴを差し出す情景は恐ろしい。子どものころはどうしてリンゴでなければな らないのかなど疑問に思ったこともなかったが、たぶんリンゴにある種の宗教性を込めたものだのだろうといまになって考えてしまう。
そうそうアダムとイブの禁断の実を忘れていた。ヘビにそそのかされてリンゴの実を食べてしまい、裸であることを恥ずかしく思う。と思って聖書で確認したら、リンゴとは書いていない。「禁断の実」でしかなかった。アダムとイブは本当にリンゴを食べたのだろうか。
ニューヨーク市の愛称はアップル・シティーである。ビートルズのレコード会社もコンピューター会社名もアップルた。これだけそろうと考え込まざるをえない。ヨーロッパ人にとってリンゴとは何だったのだろうか。
カザフスタンの首都アルマトイは以前、アルマーアタと呼んでいた。カザフ語で「リンゴの父」という意味だと聞いた。天山山脈の北麓の町で、郊外にはリンゴ 畑が広がっていた。後で調べると、リンゴの原産地は中央アジアだということになっていた。ブドウもまた中央アジアが原産地で、ともにワインの原料でもあ る。
リンゴは寒冷地に実る。日本でも温暖地に育つミカンと成育地を二分している。ヨーロッパにリンゴが育つのはわかるが、ヨーロッパ文明のふるさとであるギリ シャだとかイタリア半島にリンゴが育ったとは到底考えられない。そもそもエデンの園があったとされるメソポタミアにリンゴが成育するはずもない。ギリシャ 神話に登場する黄金のリンゴはオレンジだったかもしれないのだ。
トマトが「黄金のリンゴ」となったり、ジャガイモが「土のリンゴ」となるのだから、リンゴを意味する「アップル」や「ポム」は単に果実の意味ともとれるのだ。
それでは日本語の林檎はどこからきたのだろうか。どうやっても林檎は「りんご」と読めない。現在、日本で栽培されるリンゴは明治以降、アメリカからもたら されたものだが、平安期から「和りんご」が存在していた。小ぶりですっぱかったからあまり食用とはされなかったらしい。平安時代の『和名類聚抄』によれ ば、「利宇古宇(りうこう、りうごう)」として和リンゴが記述されており、これが訛って「りんご」になったと考えられているようだ。
当然、中国からやってきたはずだ。中国ではリンゴのことを「苹果」(ピングオ)と呼ぶ、文献には「林檎」の表記もある。『本草綱目』に「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也」とあるから、「熟れると甘くなって禽類がやってくる」という意味か。
中国の文献にある「林檎」の文字に「利宇古宇(りうごう)」の読みを重ねたということだろうか。
どこかのサイトだったか忘れたが、おもしろい逸話が書かれてあった。
あるところに果樹園があって、リンゴがなっていた。そこへ言葉のわからない旅人がやってきた。旅人はリンゴを差して「これはなんだ」と言った。農夫は意味が分からなかったので「リンゴ」といったそうだ。
農夫の国の言葉で「リンゴ」は分からないという意味だったのに、旅人は早合点してその果物を「リンゴ」だと理解した。
英和辞典で「lingo」と引いてごらん。
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